ここは朱鷺の家。赤い布に飾られた少し薄暗い穏やかな空気に包まれた場所。そこへ小さな来客があった。真っ黒な体のトカゲが一匹、朱鷺の鎮座する御帳台へと這い依ってきた。
「それ以上ちかづくな、黒蜥蜴。」
いつになく低い声で朱鷺はトカゲの進行を止めた。黒蜥蜴はぴたりと歩みを止め、小さな頭を持ち上げた。朱鷺は自分を見つめる視線に答えるように黒蜥蜴を見下ろした。すると黒蜥蜴は頭を地に伏して全身に力を込め、人の形になった。
「久しぶりだな、朱鷺。相変わらず詰まらん商売しているな。」
黒い髪に黒い衣をまとった一人の女が悪気のこもった挨拶をした。
「何をしにきた。」
朱鷺は突き刺すような目で相手を見据えた。相手は朱鷺と同種の黒蜥蜴である。様相に似つかわしく、朱鷺とは正反対の仕事をしている。
「久しく見えぬ友に向かって、何をしにとはご挨拶だな。そなたの顔を見に来た。」
「いらぬ。」
朱鷺は何か気持ちの悪いものを吐き出すような口調で言い捨てた。黒蜥蜴は顔を覆う黒い布をはずして高く吊り上げた口元を見せた。
「相変わらず手厳しいことだ。せっかく朗報を持ってきてやったというに。」
「貴様の朗報が単なる朗報だったことがあるか。」
朱鷺は終始冷ややかな態度を取っていた。黒蜥蜴はあからさまな朱鷺の態度を楽しむように口元を笑ませている。その手には乗らぬといわんばかりに朱鷺は黒蜥蜴を見なかった。
「そなたの祖国の朱鷺がとうとう絶滅したそうだ。中国から譲り受けた偽者の子供が何とか生き残って入るようだが。」
「それがどうした。」
少しも動じない朱鷺の態度に、黒蜥蜴は少しむっとしたように笑ませていた口元を下げた。
「自分の仲間が絶滅したというのにそれか?存外冷たいやつだ。私の言っていることを信用していないというわけではないだろうに。」
「貴様からの情報を当てにしてなどいない。私はただ知っていただけだ。少し前から、知っていただけだ。それのどこが朗報だ。」
朱鷺は幾分暗い表情になって、うつむいた。その目が潤んでいるかのように見えた。相手をなじる声もどこか苦しげに聞こえる。黒蜥蜴は懐から茶道具を取り出し、茶を入れた。朱鷺には懐かしいさわやかな茶の香りがたつ。日本の緑茶だった。
「朱鷺よ。なぜまたこの国に来た。」
黒蜥蜴は湯飲みに茶を注ぎながら朱鷺の顔を見ずに尋ねた。
「この国はそなたの祖国を腐らせているようなもの。数十年前の戦乱も、この国のためと言っても過言ではなかったのではないのか。」
黒蜥蜴の言葉に、朱鷺はほとんど無反応だった。黒蜥蜴に差し出された湯飲みを受け取り、一口含んで気を静めた後、朱鷺はゆっくりと思い出すような口調で語った。
「この国は、国柄か外界を意のままに動かすことを目指している。この国だけではないが、特にこの国は力が強いらしい。わが国を腐らせているのはほとんどこの国の策謀の結果だといっていいだろうが、それを進行させているのはわが国の人々だ。この国はわが国の人々をうまく手駒にしている。この国の人々は働くのがさほど好きではないようだな。しかし自分たちが働かない分どこかで誰かが働かなくてはならない。わが国の人々はまるでこの国の人々の奴隷のようだ。だからこの国の経済力は回復しない。自分たちの稼ぎを自分たちで挙げようとしないからだ。ここへ来てようやく、この国の人々のことがわかってきた。」
朱鷺のこの国に対する見解を聞き、黒蜥蜴はまだ納得できず、付け加えた。
「西の海の人間は外界を掌握し、すべてを意のままに操ろうとしている。そなたの国の人々とは考え方や感じ方が根本的に違うのだ。」
「・・・そのことがよくわかってきた。」 
朱鷺は黒蜥蜴の言葉を静かに聴いていた。目を閉じて苦しげな表情で朱鷺は自分の心臓を握り締めるように胸を押さえた。黒蜥蜴は朱鷺に寄り添い、やさしく抱きしめた。
「胸のうちに巣くう闇がそなたを苦しめるなら、吐き出してしまえ。憎しみに耐え切れぬなら、表してしまえ。なぜそなたばかりが我慢しなければならないのだ。力を解放してしまえばよいではないか。」
朱鷺は黒蜥蜴を振りほどいた。後ろに飛びのいた黒蜥蜴は何も驚いた様子はない。朱鷺は黒蜥蜴をにらみつけて声を高くした。
「戯言をぬかすな!誰がお前の思い通りになどなるものか。西の海の人間たちとて自ら望んでそうなったわけではない。すべては運命の道筋のひとつだ。何がどうしてどうなるわけでもない。誰が何かをどうにかできるものでもないのだ。我らとて同じことだ。われらの存在とてすべては運命の道筋なのだ。手出しなどできぬ!」
朱鷺は涙をこらえ切れず。袖で顔を覆い、ひざの上に伏した。
それを見つめる黒蜥蜴は、顔色を変えることなくただ黙ってそこにいた。まとった黒い布を揺らすことなく、音も立てずに黒蜥蜴は、後ろに現れた黒い扉のノブに手をかけた。
「そなたは、さすが和の国生まれだな。」
そういって黒蜥蜴は扉の向こうへと姿を消した。黒い扉は影が掻き消えるように音もなく消えた。
「私は、・・・のだ、・・・妹よ。」



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