長屋の突き当たりに小さな看板を立てた部屋があった。「朱鷺の家」と木の板に書いただけの粗末な看板が、今日も乾いた音を立てて来客を待っていた。
 朱色の薄い布に焚き染められた香の香りが戸の隙間から時折漏れてくる。その香りに引き寄せられて、今日も一人の来客があった。
「朱鷺様はいらっしゃる?」
鳥の剥製に声をかける女が一人。剥製はニスの光るくちばしをかくかく鳴らせてさえずる。
「いつもどおり奥のお部屋に。」
「ありがとう。」
女は剥製の頭を指でなでて奥の部屋へとはいって行った。何枚かの朱色の布をくぐって、奥の部屋へたどり着くと、甘ったるい香のにおいの中にさわやかなお茶の香りが漂っていた。
「ご無沙汰しています。朱鷺様。」
女は深々と礼をし、輿に鎮座する朱鷺に挨拶をした。
「近頃とんと見かけませんでしたね。今世は無事に過ごせていますか?」
朱鷺はにっこりと微笑んで、古くからの知り合いに席を勧めた。
「相変わらず人の世はすさんでいます。というよりもどんどんすさんできているのかもしれません。いつもいつも昔のほうがよかったとか前世に苦しい思いをしていてもまだ前の方がましだったとか思ってしまいます。」
女はやや寂しそうに苦笑を浮かべてうつむき加減に話した。朱鷺は輿から立ち上がって、女の向かい側のいすに座った。
「人の世に生きるそなたは、兄君たちと違って苦労も多いことでしょう。ましてあなたは自分を隠して生きていかなければならないのですから。」
朱鷺は心配そうに少し冷たい女の手をやさしく包んだ。女は小さく首を振りながら、遠い目をしていた。
「兄様たちは兄様たちでいろいろあるのです。兄様たちにめったに会えないのは寂しいことですが、私にはいつも誰かがそばにいてくれます。どの世でも同じことです。だから、寂しくないんです。」
「今も誰かがそばに?」
「はい、とてもいい人です。やさしくて面白くて今の私をすべて受け入れようとしてくれるとても素敵な人なんです。だから今とても幸せです。」
女はとても満ち足りた笑顔で朱鷺の手を握り返した。その笑顔を朱鷺は少し安心した顔で見つめていた。
「そなたにそのような笑顔をさせるからには、よほどの相手のようですね。けれどまた、以前のような苦しみも味わっているのではないかと、心配してしまいますが・・・。」
女は再び表情を曇らせた。
「実はそのとおりです。むしろ以前より苦しんでいます。今世を幸せに終えたとしても、来世であの人に会えるとは限りませんし、今、あまりにも満たされているから、来世のことを思うと自分が自分で心配なんです。」
「自分の身の上のことをその方にお話しますか?」
朱鷺の言葉に女はそれほど大きく反応しなかった。ただ小さくため息をついて、うなだれた。
「朱鷺様もそのほうがいいと思いますか?」
「私はそなたの思うようにするのが一番だと思いますが、もしそのことを話して拒絶されるのが怖いのなら、やめておけばいいし、勇気を持って話そうと思うならそうしたらいいし。どちらにしても、来世に何か残せることはあるのではないですか?」
「そうですよね。やっぱりあの人とまた生きて生きたいというのは無理な話ですよね。自分がなんだか恥ずかしくなります。」
「思い人と永久に生き続けることを願うのはおかしなことではありませんよ。それに、あなたにはできないことでもないでしょうし。」
朱鷺はいたく心配そうに女を見つめた。女は泣き出しそうな表情でうつむいたままだった。
「朱鷺様、私は身勝手な女です。私には御神から仰せつかった大事な役目がありますのに、ただ一人の人を求めてなんともわがままな願いを持ってしまいました。あの人が生まれ変わらないなら、私ももう生まれてきたくはないなどと。身勝手極まりないことです。大事な役目を捨ててその人と死後の世界もともにすごしたいと、思ってしまうのです。」
女は涙を浮かべながら朱鷺の手を握り締めていた。朱鷺は女の手をとり、抱えるようにして席を立たせた。そばにはいつの間にかやわらかい長いすが置かれていた。朱鷺は女とともにそれに座り、抱き寄せた。
「そなたはいつでも人とのかかわりのことでつらい思いをしてしまうのですね。」
朱鷺は強く女を抱きしめた。女も朱鷺にしがみつくように身を寄せていた。頼るものはあるが頼ることができず、その苦しみを打ち明けることができるものも身近にいない。どんなに大切で心を許すものがいても、自分という人間をさらけ出すには並みの人間には荷が重過ぎる。しかし打ち明けなければ相手を謀っているような気がして自己嫌悪に陥ってしまう。そんな葛藤を何度も繰り返しながら、この女は縄文時代からこの世に存在し続けているのだった。

 「ようこそいらっしゃいました。」
朱鷺は来客を下座に降りて出迎えた。朱鷺にとって数少ない目上の人物である。
「ハルディアと会ったか。」
男は上座に迎えられ、朱鷺が入れた茶を手に取った。朱鷺は盆を下げながら相手を見つめていた。
「はい。とても苦しんでいらっしゃいました。」
朱鷺は節目がちに笑みをつくろいながら先ほどの女の様子を話した。
「そなたには苦労をかけるが、どうか見守ってやってほしい。ハルディアにとってはいつの世でも乗り越えなければならないことだ。」
「しかし、今回は特別です。そう感じていらっしゃるからこそ、こちらにいらしたのでしょう?」
朱鷺は返答を待った。
「・・・そうだ。今回は今までとは違う。その証拠にハルディア本人が変わりつつある。今までは相手と死に別れるときもその世生を幸せにしてくれたことに感謝しながら別れていたが、今回はそうはいかないかも知れん。私はどうすればいいのか。見当もつかん。」
男は少し疲れたようにため息をついた。
「兄上様も心配されていたのですね。しかし、ハルディア様の輪廻をとく鍵は見つかりますまい。」
男は朱鷺の言葉に少し驚いたように顔を上げた。
「ハルディア様の命はこの星と結びついているものです。生ある限り死があり、また死がある限り生がある。この絶対的な理の象徴がハルディア様御本人でいらっしゃいますから、この世が死の世界になるか、または人々が死者でも生き物でもないような人形になってしまうか、そのようなどちらかに偏った世界にならない限りハルディア様はこの世に存在し続けるしかないのです。木火人とはその体内に「生」と「死」の両方を備え持つとても複雑で尊い存在です。二人と存在しない理由がうかがい知れます。」
朱鷺は昔彼らに出会ったころのことを思い出しながら話していた。男は朱鷺の言葉を聴きながら遠い昔のことを思い出していた。
「ハルディアには確かに役目が与えられた。しかし、私にとってはそれがそれほど重要なことには感じられない。なぜそれがハルディアの役目になったのか私にはわからない。確かにハルディアはその身に「生」と「死」を合わせもつ。それとこの世を見届けるのと何のかかわりがあるのか。私にはわからない。トルフトファレンはなぜ・・・。」
男は暗く沈んだ表情で空を見つめていた。
「御神の御心など、人間ごときにはわからないのです。わからなくて当然です。たとえ人間でありながら神として崇められる方でも、超越した存在ともなればその御心を読むのは難しくもなりましょう。ハルディア様も神として崇められた存在でございますれば、たとえ長く見守ってこられた兄君様とてご理解なさるのは難しいのと同じこと。トルフトファレン様というこの星の創造主ともなればお考えになったことを計り知るなど、不可能なことかと。」
「御神の御心か。」
男は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「所詮私も人の子だな。神はなぜと問いかけるなど、なんとも幼稚なことだ。どうか、忘れてくれ。」
「はい、メルクス様。」
朱鷺は男の縛り付けられた心を解き放つことはできないことを知っていた。何を言っても決してその心はそこから動くことはないことを。また朱鷺はメルクスがハルディアの輪廻をとこうとしていることに深い人間性を見ていた。

 輪廻をとくということは、仏教でもあるように、この世のしがらみから開放され本当の至福の世界へと旅立つこと。二度とこの世に生まれ変わることなく、永遠の世界へ赴くこと。ハルディアの兄たちはそれぞれの方法でハルディアの開放を願っているのだった。
「ハルディア様はご自分の運命を受け入れることができるだろうか。あの方次第でこの世はどのようにでも変化しうるのだが・・・。」
朱鷺は止まり木で眠る鳥の剥製を見つめながら、神として祭られる遠い祖のことを思いやっていた。



Back


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送