出会いは仕事のうちだった。予定よりだいぶ早く標的のいる場所に来ていた。古い喫茶店。客は自分以外誰もいない。よく続いているものだ。
 喫茶店の経営者は年老いた男性。小綺麗に身なりを整えて、穏やかな笑みを浮かべている。入れてくれたコーヒーはとても香りがよくのど越しもいい。
 そこに一人の客があった。それがそのときの標的だった。
「おじさん、いつものちょうだいな。」
愛らしいような高い声、こぼれんばかりの笑顔、高嶺は一目でいつもの標的とは違うことに気づいた。喫茶店の主は愛想よくいつものように一杯のほっとチョコレートを少女の前に置いた。少女は渇いたのどを潤すかのようにそれを口に運ぶ。ふと、そこでようやく高嶺の存在に気づいたらしい。あんぐりと口をあけて
「まあ、珍しい。ねぇ、おじさん?私ら以外のお客さんがいるよ?」
切れ長に描かれた目をやや開くようにして女は高嶺に目を向けていた。店主が、あまり人をじろじろ見るもんじゃないですよ、と諭すと、しまったというような顔をして高嶺に謝罪した。

 「白牡丹」それが彼女の名前だった。名前と言っても芸名であるがと、ポツリポツリと記憶の断片のように店主は話し出した。
「あれは、私の孫なんですよ。あれの親兄弟は皆殺しにあいましてね。今では私が唯一の肉親になりますか。あれが、まだ物心つく前に、夜花団に襲われましてな。一家は皆殺し。しかしあれだけは、生き残りました。血筋を買われてか、ただの酔狂なのか。当時の花持ちに連れて行かれ、今まで生きてきたようで。」
店主は白牡丹と呼ばれる少女の身の上話を続けた。
「夜花団というのは、歌踊団のひとつで、立ち回りを売りにしている一団で、舞台に上がれるものはみな花の名を持つ。中でも牡丹の名は長い歴史の中でまだ3人しかいない。その3人の中でも当代の白牡丹が最強といわれている。」
「爺さんずいぶん詳しいな。」
高値はタバコに火をつけながら、あわただしく店を出て行った少女の軌跡を眼で追っていた。
「ここに住み着いて長いからな。ついでに夜花団には大きな借りがある。」
店主は年期の入ったキセルを取り出し慣れた手付きでタバコを詰めていた。
「あれはわしが祖父だと知らん。それから自分の生みの親の子とも。先代の団長が親だと思っている。本当は親を殺した敵だとも知らずに。」
「その話を聞かせてどうするつもりだ。」
高嶺は面倒くさそうな顔で吸殻の火を消した。
「なぜだろうな。なぜか話したくなった。」
店主は自分でも驚いたような顔で笑った。
「ついでに訊くが、なぜあの子供を殺す必要がある?ただの踊り子じゃないか。」
「お前は案外素人だな。」
店主は残念そうに首を横に渡った。
「あれでもお前と同業者だ。言ったろう、最強だと。」
最高でなく最強といった意味はそこにあった。夜花団はそもそも古代から続く暗殺集団なのである。
 軽やかに席を立って舞うように走っていった後姿が目に浮かんだ。何か楽しみのような恐ろしいような表現できない感情が突然溢れ出してきた。何かを期待して何かをあきらめ、何かに喜び何かを悲しんでいた。それが何なのか、高嶺にはまだ解らなかった。雇い主に仕事に対する質問などしたことはかなった。なのになぜ・・・。
(殺す必要が、だと?)
高嶺は自問自答する。そして自分の不可解な言動に苛立ちを覚えた。疑問など抱かない。ただ実行するだけ。無邪気に笑っていた笑顔を苦痛にゆがませてやればいいだけのこと。
「1週間だったな。」
高嶺は店主に代金を払って席を立った。
「お前には無理だ。お前はわしと同じだ。あの子を殺せやしない。」
雇い主はあきらめたように首を振りながら、暗殺家業の男を見送った。

 高嶺があの喫茶店を訪れてから1週間が経った。夜花団の講演は今日が最後だった。今日の舞台が終われば明日、次の場所へ移動する。高嶺は今日標的を狙う。
 夜の講演が終わったあとの、深夜の仮説舞台。高嶺はセキュリティーのないその建物の中へと足を進めた。物音ひとつしないその空間の中には、高嶺と白牡丹だけ。舞台の上でスポットライトを浴びる白牡丹が、正面入り口の前に立つ高嶺へと深くお辞儀をする。高嶺は視線を白牡丹から動かさずに舞台へと歩みを進めた。白牡丹はしなやかな体をたゆとう一枚の衣のように動かせて舞う。まとった衣は白牡丹から離れまいとその体に必死に絡み付いているかのようだ。
「それ以上近づくと、間合いが悪くならない?」
白牡丹が静止して高嶺のほうを見ずに言った。高嶺は自分が行き過ぎてしまったことそのときようやく気づいた。高嶺が動きを止めると、白牡丹は再び舞う。
―散る花、枯る花、摘まる花。いずれも同じ絶ゆる花。いざ選びざらん、汝が花を。―
歌い終わると白牡丹は腕に絡ませていた領巾を高嶺に向かって投げた。
「私なら、やっぱり散る花がいいけど、どうしても摘まれるんでしょうね。」
白牡丹は無表情のまま口を動かしていた。高嶺は投げられた領巾を手に取り、焚き染められた香をかぎ分けた。甘ったるい花の香り。薔薇の花だった。
「爺さんの店で会ってからちょうど1週間ね。ずいぶん遅かったわね。」
「知ってたのか。」
「気づいたの。あなたが私と同じだって。血のにおいなのかしらね。私と同じにおいがするの。」
白牡丹は舞台を下りて高嶺へと近づいていく。
「この1週間、何度もチャンスはあったはずよ?だって、ずっと私を見てた。夜、宿場に忍び込んだこともあったでしょ?どうして殺さなかったの?」
「お前は舞台の途中だった。殺せば興行に差し支えるだろう。」
「あら、そんなこと考えてくれてたの。」
白牡丹はあきれたように笑った。
「今日は、私に花を贈ってくれたでしょう?」
白牡丹は衣の袖を口元に運びながら、うつろな目をしていた。
「私を殺す?」
高嶺はまるで足がその場に貼り付けられたような感覚に襲われた。自分の心臓の鼓動がやけに耳に響く。
「不思議な占い師さんが言ってたの。私を殺しにくるって。その人に私は殺される。それはどうやっても変えることのできないことなの。初めてあったあの時、すぐにわかったわ。ああ、この人がって。」
白牡丹は自嘲気味な笑みを浮かべていた。
「あの時、なんだかうれしくて、でも悲しくて。言い表せない気持ちでいっぱいで、でも、ひとつだけ確かなのは、あなたに会えたことがうれしかった。だから・・・。」
白牡丹の言葉をさえぎって、高嶺の大きな体が、華奢な白牡丹の体を包んだ。高嶺は白牡丹を強く抱きしめていた。
「お前は、死を選ぶか?それとも一切を捨てる覚悟を選ぶか?」
「すべて捨てるわ。あなた以外のすべて。家も名前も何もかも。私には必要ない。」
高嶺は白牡丹に口付けし、二人はその日姿を消した。

 それから3年後、古びた一軒の喫茶店に久しぶりに灯がともり、静かな賑わいを見せていた。
「高嶺、この箱あの上に置いといて。」
「朝日、これここでいいか?」
長身の男と男より若く小柄な女の二人が、しばらく空き家になっていた喫茶店を再び再開することになった。
「店の名前決めた?」
「何だと思う?」
にんまりといたずらな笑みを浮かべながら、朝日が高嶺に耳打ちする。
「『薔薇の花束』。」
「なんだそれ。」
「高嶺にもらったはじめての贈り物よ。」
「・・・そんなこともあったな。」
高嶺は懐かしい思い出を昨日のように思い出しながら、3年間の日々をふり返っていた。あの日、依頼どおり白牡丹を殺し、この朝日という女を手に入れた。そのあとは夜花団の一掃に尽力し、ようやくすべてが片付いたのが去年の暮れ。その間に、朝日の腹には小さな命が宿った。まだしばらく先ではあるが、新しく生まれてくる命を楽しみに待っている。そんな自分を3年前の自分は想像しただろうか。この3年間が10年にも20年にも感じられるのは、これまで生きてきた中で一番充実していたからだろう。
「子供の名前は『千鶴』な。」
「男の子なのに?」
「平和の象徴千羽鶴だよ。」
「・・・いい名前ね。」
自分たちが今寄り添っていることが、また自分たちの子供が無事に生まれてくることこそが、何よりもの平和の証だと、二人は知っていた。
「そういえば、あの時、占い師がなんとかって言ってた?」
「そう、不思議な占い師さん。あばら家みたいなおうちでね、お部屋は真っ赤な布がいっぱい下がってるの。ものすっごくお香のにおいがきつくて、鳥の剥製があるの。中国みたいな着物着てる綺麗な女の人だった。でもどこにあったかよく思い出せないの。まるで夢でも見てたみたい。」
お礼にでも行きたいのにね、と無邪気に笑う妻の頭やさしくなでて、再び片付け作業に戻る。
「・・・鳥の剥製。」
高嶺は朝日の話がどこか懐かしい話のように聞こえた。
(まあ、気のせいか。)
 その後二人の子供は無事に生まれ、千鶴と名づけられ、二人に守られてすくすくと成長している。

 「あなたは自分より年下の、しかも女に殺される。」
「そんなもん信じるか。」
「信じる信じないはあなたの勝手。でもこれはもうすでに決まっていること。かえることのできない約束。」
「もしそんなことになったら、その女も道連れにしてやる。」
「そうなるといいわね。」
神々しい衣装をまとった女が、一人の少年に伝えた。赤い布の下がった部屋、香のにおい、入り口に下がった「朱鷺の家」の札。奇妙な鳥の剥製。
「変わらないだろうよ、この道は。なぁ、高嶺よ。」 薄く水の張った水盤の中には中むつまじい親子3人の姿があった。



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